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皇典講究所 山田顯義演説・井上毅演説(明治二十一年)

 明治二十一年、皇典講究所の規則改正に臨んで、司法大臣山田顯義と法制局長官井上毅の演説が行はれた。二年後の二十三年には憲法御發布があるが、立憲體制が布かれ、いよいよ近代國家として日本の國家が整へられようとする時期に當たる。
 兩氏は、新しい國家の樹立に當つての、國典研究の重要性を主張してゐる。
 その趣旨を實現する形で、明治二十三年、皇典講究所内に、國文國史國法の研究機關たる國學院が設置される。

 こゝに載せる文章は、同所關係者により發刊された雜誌『日本文學』の第五號(二十一年十二月發行)に載せられた當演説の筆記の引用。

(○山田伯演說の筆記)


 編者曰く左の一編は去{い}にし六日の夜山田伯爵の皇典講究所にて演說せられたるを筆記したるものなり
今晚、皆樣に御出でを願ひまして、御相談申すに付いては、其の材料となるものを持つて出やうと思ひましたが、御承知の通り餘ほど多忙な男で、少しも暇を得ませぬので、只今出がけに一つ書きをして參りました位で、甚だ其の趣旨も前後錯雜することで御坐りましようと考へます、ソコは宜しく御察し下されまして、趣旨の大要を、御採り下さるやうに、願ひたいで御坐ります。これは、素より只、尋常團欒の閒に於て、御相談をすべきで有りますが、御多人數で有りますから、此の席に立ちまして申し上げます
此の講究所は御承知の通り、去る明治十五年設置以來、段々變遷して、今日はたゞ一の國學敎授所となつて居る體裁で有りますが、倂し其の最初の規模たる、決して左樣な譯{わけ}で無く、ドコまでも之を以て國家必要の皇典を講明し、尚、後世必要の業としましようと云ふ考より、始まつたもので御坐ります。然るに、時勢の變遷や彼れ是れで、何分其の規模を急に擴張して參ることが出來ませぬで、今日まで遷延しましたが、最早今日になつては是れまで通りにして置くことも出來ず、また今日まで多數の贊成者も有りませぬで、希望を充たすことも出來ませぬで有りましたが、今日よりは充分に力を盡して、今後の必要なる運動を爲さなくてはなるまいと考へます
其れは如何となれば、御承知の通り最早立憲の御政體も追々御準備が整ひ、上  皇室の典範より、憲法の御制定、諸法律の制定、また町村自治と申す如くに、漸々上より下に至るまで、總て其の基を爲されるに付ては、我々に於ても之に當るだけの備を爲さなくてはなりませぬ。これを爲すには、餘ほど考慮を盡して、上  皇室の尊嚴なる所以、下我々人民の祖先以來今日まで幸福安全を保つて參りましたところ、及び此の後、子々孫々不朽に此の幸福を繼續せねばならぬことに付ては、此の國家の組織は如何と云ふことを知らなくてはなりませぬ
また、動もすると此の國家を一人一己の思想にて出來る如くに考へる者も、世の中には多いことで有りまして、今日歐米各國に於きましても、學者社會の一難問となつて居るやうなことも有ります。たゞ理論上から推して參りますと、遂には何れの所に歸着するか分りませぬが、獨り理論にのみ據るべからざるものが有つて、其れは所謂國家は理論の爲に左右されないと云ふ證據を擧げなくてはなりませぬ
此の證據を擧げるには、本を立てねばならぬ。其の本を原{たづ}ねると、國があり、人があり、君主あり、父母あり、子々孫々ありて、今日に至つたものなれば、五十年や八十年生きる人閒の力や、腦力では、決して左右されるもので無いと云ふことが明であらうと考へます
其れで、之を講究するには、是非其の國の人種慣習風俗言語の如き、國體となるべき要用なる部分に付いて、講究をせなくてはなりませぬ。これは、みな國々に於て、歷史に稽へ今日に徵して、研究せざるべからざる譯で有りますゆゑに、此の道と云ふものは片時も缺けてはならぬものであつて、最も早く其の基を開かねばならぬことゝ考へます
倂ながら、日本の國學者とも云はるゝ人に於ても、たゞ舊事のみを知りまして、今日現に、之を作用することを知らぬものもあると云ふやうに聞きますが、若さうであるならば、其れではなりませぬ。舊事を考へるなら、目今に徵して如何と云ふことを考へなければならぬことで、もし昔のことばかりを講じて、今日のことを知らぬでは用をなしませぬ。今日日新進化の有樣と申すは、決して一國二國の力で止められるものでは有りませぬ、必ず日新進化する理が有りますゆゑ、之によつて進むべき道を講ぜぬと、進みはせぬで退くもので有ります。それ故に、進む所の道を講じなければなりませぬ
倂ながら、此の世の中は一張一弛は數の免れざるところで、餘ほど勉強しても退くときは退き、衰へるときは衰へるもので有りますから自退き、自衰へることを知ることが肝要で有りまして、之を知つて造次顚沛にも萬事萬般に就いて、他の各國の有樣と比照して、我が退步しないやうに萬事を注意して參らなければなりますまい
又其の中に區別が有りまして、日新進化と雖も、物によつて區別をしなければならぬ。例へば農工業などはイクラ進みましても、便益の點にはイクラなりとも進まなければならぬが、こゝに變化すべからざるものは國體で、卽ち人種慣習風俗言語の如きは其れ等と共に進むべきものでは有りませぬ。しかし人世進化は免るべからざるもので有りますゆゑ、少しも進化せぬとは申されませぬ。これは人の力で進むものと思つてはなりませぬ。自然進化であります
それで、是れ等のことを講究しやうと考へますれば、是非、國の內外、世の古今、人種の異同を問はず、何れの國のことでも、何れの人のことでも、餘さず漏さず、力の及ぶたけ講究しなければなりませぬ。これには我が國の必要なるところの國體を本として、之によつて取捨折衷をして參らねばなりませぬ
其れで、我が古を溫ね、其れよりして上  皇室の御祖宗樣から下我々の祖先、我々の一身までを講究し來つて、我が盡すべき本を知り之によつて總て國家の組織如何を知ることになれば、百事みな人種慣習風俗言語に基かざることなしといふことが知らるゝであります
ソコデ、これが基となりますによつて、帝室典範又は憲法の如きものが、之によつてたち、萬事の本となりまして、其の他の法律規則及び行政百般のことに至るまで、みな其の本たる帝室典範憲法の如きものに、起因するやうになる譯で有ります。其れからして、一身一家の家庭のことに至るまで、之を本として一身を修め、一家を治めることに至らなければなりませぬ。くりかへして申さば、一身一家より國家萬機の事にも及ぶ譯であります
斯の如き些少のことゝ雖も、本によつて出て參らなければならぬことゝ存じます
總てのことを其の本を尋ねて致しますことになりますれば、一の法律を施行し、一の政事を施行し、一の事業を爲し、一家の事を致しますにしても、みな其の淵源に本づいて當世の務めをする譯になつて參りますで、隨つて國民愛國の心も之によつて起つて參ります。畢竟愛國心は決して人の眞似をして餘所{よそ}の國が斯うするから、自分の國も斯うすると云ふことで無く、自分の生{は}え出た土地、自分を產んだところの親と云ふものを原ねて、始めて我が身の居り所が分つて、決して人には讓られぬと云ふことが起つて參りまして、其れからして眞の愛國心が起つて參るもので有ります。決して本づく所が無くして起つた愛國心は、其の力はないものであつて、容易に起る代りに容易に變化しますから、斯の如き愛國心は賴むに足らず、また我が國に於て大和魂と云ふものではありませぬ
斯く申せば、私はじめ實に何事を致しますにも、第一に皇典を調べ其の後、世々の史乘を講究して而して後、今日のことをして來たかと申せば、一向左樣では無く、誠にたゞ目前の急務を捌くのみを主として、其の本を講究することが出來ませなかつたのは遺憾千萬で、今日皆樣に向つて申し上げますは甚だ汗顏で有りますが、如何せん私一身に於きましては、青年以來今日まで多事の世の中に生れ、志の寸分も遂げる譯に行きませぬで、只今申すが如き順序の有るを知りつゝ、斯の如き成り行きになりましたが、しかし氣付いた以上は一日も速に世の中に公けにし、且速に着手することが必要と存じますれば、敢て自、恥づる所を厭ふには足りませぬと思ひます
私が成長します頃は、まだ今日ほどで無く、今日よりは國典を講ずる人はありましたが、今日になると日々に國典の講究は薄くなり、歷代のことも本源に溯つて探究することが薄くなり、斯の如き傾向で參りますと、一身一家のことから、政事なり法律なり*、何事も我が國の本は忘れて、此のことは英國、此のことは佛國、此のことは獨逸でかやうであると云ふやうに、餘所{よそ}の國の法度文物を飾り、其れを以て我が國の政事法律及び一家の事を議するところの具となるやうになつて參りましては、決して我國の風土人情に適するところの政事も出來ず、法律も出來ず、また一家を治めることも、出來るものでは有りますまいと考へます
倂ながら、御一新このかた今日までは最早過ぎ去つたことでも有りますし、時勢の止むを得ざることで、王政復古の時勢の止むを得ざるに出で、また其の時の人たる俊才博學の人も出てまゐりましたが、如何せん歐羅巴の學問などは、今日の如く研究も屆いて居りませぬゆゑ、これが世界に押し出して世界の議論と日本固有の議論とを突き合はせてドウだと云ふことまでは、充分屆いて居りませぬことで有りましたらう。これは私の臆測でありますれば、萬一研究の屆いた人もあつたかは知れませぬが、先づ無かつたらうと思ひます。たゞ世の宜しきに從つて斯の如き傾向となつて參り、從つて歐羅巴各國の國々の慣習風俗の違つたところもあるをえらばずして、互に持ち込んで參つて、一の法律は佛蘭西から採り、一の法律は獨逸から採り、または亞米利加英吉利から採ると云ふ有樣をなしたるは如何にも遺憾なれども、これは今日から咎めて致し方も無く、却つて今後の爲には幸福で有りましようが、此の後に向つては最早斯の如きことを爲すべきことでは有りませぬ。立憲の政を布かれることゝなり、帝室典範憲法より、人民一身一家を保護する民法などが出來ました上は、國の組織が大槪備はる譯で有りますゆゑ、此の上、從前の通り考へて居てはならぬもので御座ります
若、此の時に當つて之が備を爲しませぬ節には、國の盛衰強弱は時に隨つて變化するものでありますれば、他の國の盛衰強弱に從つて、或るときは支那が強いから直き支那の眞似をして、何も彼も擧げて制度文物を採り、支那の眞似をする。或るときは朝鮮が盛だから朝鮮の眞似をし、或るときは歐羅巴の眞似をすると云ふは、畢竟我が國の本がタシカでないからして、變化する譯でありますによつて、以前のことは兔もあれ、此の後は動いてはなりますまい。之を動かすことが出來ぬやうになつて居れば愛國心も熾になり、また萬國に對して國威を示す事も出來ましようから、これが今後に向つての最も必要なる點で有りましよう
それで、此の講究所の從來の有樣は、たゞ皇典修學生を敎授して行きます位でありましたが、こゝで之を擴張しますには、只今申し上げました趣意によつて、第一に我が國の古典を本とし、其れより歷代の史乘に就き、其の信據すべきものは之を擇び、また不明なるものは之を研究して、而して之を現今の事物に引き當てゝ、互に講究して行つたらドウであらうかと考へます。昔のことから今のことまで講究するに付いては、尚、歐米各國のことをも參照して講究したら、なほ然るべしと思ひます。之に付いては皆樣の御考がありましようから、是れ等は御互に研究して、古のことから今日のことに至るまで講究することにし、また外國のことをも參照することゝして、其の方便は如何樣とも、適宜な便法を御相談致したいものと考へます
それで、こゝにチヨット加へて申し上げたいと思ひますは、皇學者の中でも色々說が分れまして、たゞ一種の自說を維持するだけであつて、他に如何樣な說があらうとも顧みず、自ら安んじて足れりとして居るやうなことがあると云ふことで有りますが、これは今後は甚、注意すべきことで有りましようと思ひます。ドウか箇樣な論說の合はぬことが有りますなら、講究所に持ち出して、互に講究して力の及ぶかぎりは一定して參りたいと考へます
箇樣に致します以上は內外人を撰ばず又今日世に言ひます所の、これは自由黨だとか、改進黨だとか、これは何宗だとか彼宗だとか云ふことを言はず、講究所に於ては左樣なことは眼に見ぬことにして、何であらうが我が道とする國家の基たる所の要點を講じ、  皇室の尊嚴なる所以、また我が國民の今日まで經歷した所以を講究するに付いて、此の事を贊成して參る者は總て一致協合して、此の事の益明瞭精確にならんことを務めるやうに致したいと考へます
これが、今晚私が皆樣に向つて御相談申す大要でありますが、眞に不備不完全な筋書で、自分に書きながら、自分にも分らぬ所がある位でありますゆゑ、申したことも定めて御分りになりますまいが、まづ大意が箇樣でありますから、これに御贊成有りまして、益此のことの盛大に至り、なほ此の上、贊成者の多くありますことを希望しますで、其の邊に向つて御銘々の御盡力あらんことを願ひます
改正します趣意書、(編者曰く載せて雜報にあり)は、松野より御覽に入れますでありましようが、これは極簡單に書きましたもので、皆樣に御覽に入れる積りで有りますから、後に御覽を下さい

* 「法律なり」、底本「法律り」、意もて改む。


(○井上毅君演說筆記)


○井上毅君演說筆記
國典のことに係つて私の兼ねて心得て居る所の意見を述べます。先頃或人が私に向つて問題を設けて「國典は之を講究することの必要が有るか否や」と云ふことを問はれました。其の節、私は之に答へて「無論必要で有る」と云ふことを答へました。倂ながら「國典を講究することは何の爲に必要で有る」と云ふことを問はれるならば、私は之に對して分拆的の返答をしなければならぬ。其分柝的の返答は國典は國家の政事の爲に必要である、幷に國民の敎育の爲に必要で有る、而して宗敎の爲に必要で無い、また一の政黨の論據材料の爲に必要で無いと云ふことを以て答へなければならぬ。なぜ宗敎の爲に必要で無いかと云ふならば、國典に載する所のものを敷衍して一つの宗敎的の論理と爲して、尚、いはゞ之を以て宗敎的の看板におしたてゝ、佛法又は耶蘇宗を攻擊する爲の旗じるしにすると云ふやうなことは勿體ないことで有る。これは卜部流の神道より淵源し來り、近百年二三の豪傑の士が世を憤り激する所あつて爲したることで、其れよりして世には誤つて神道を以て一の宗敎と看做し、或は宣敎師の仕業に倣ひ、冥界の敎少なくとも顯界冥界に通ずるの敎などと說きなし、遂には西洋の人がシントイズムと云へる名稱を拵へて、東洋の一の宗旨の名と見立てることにまで至りたるは、私の意見では御國のカンナガラの道の本意に背いて殘念のことであると存じます
第二には一の政黨の論據材料として國典を利用することは甚、勿體ないことであり、また好ましからぬことである。國典は御國に生れたる有らゆる人の學ばねばならぬこと、講究せねばならぬことである。故に國典の學問は御國の有らゆる人を支配する區域のものである。然るに國典に精しい人が其の國典を利用して自身又は自身の一黨派の專賣物と心得て、他の黨派を國典の支配の外におしおとさんとするは、其の人に取つては狹い量見であるのみならず、甚、國典の本意に背いたることである。故に宗旨の考または政黨の考の爲に國典を講究することは必要で無い
さて之に反して政事の爲に國典を講究することは政事上隨一の必要である。何となれば海の東西を問はず、總ての國が其の憲法及百般の政事に就いて、其の淵源基礎を己の本國の歷史典籍に取らぬ國は無い。國の歷史上の沿革及故典慣例は其の國の憲法幷に政事の源である。西洋の或る學者の說に凡政事は樹木を植うる如きものであつて、其の土地の固有の樹木か又は少なくとも其の固有の樹木にツギホして、密着の生育を爲すだけのものを採用し、並に密着の生育を爲すやうに仕向けねばならぬと云ふ論が有りますが、これは至つて手近い譬喩である。此の國典の政事上に於ける關係に就きましては、旣に趣意書に悉してありますによつて、私は贅言を煩はしませぬ
次に國典は國民敎育の爲にまた隨一の必要である。凡人民が集まつて國を爲す以上は、從つて其の國を護ることの必要がある。人民が自、其國を護ることは、人民が其の國を愛するより生ずる所の結果である。人民愛國の心は總て普通の國民敎育によつて生成發達するもので有る。故に是れまた海の東西を問はず、何れの國に於ても國の獨立を保つ爲には國民敎育を第一の貴重なるものとしなければならぬ。國民敎育の材料は一には普通敎育の生徒に向つて本國の歷史を敎ふること。二には國語を敎ふること。これが國民敎育の材料で有る。國典は己の國の祖宗並に先哲の偉業を知らしめ、己の國の貴きことを感觸せしめ、己の國は父母の國たることを腦髓に銘刻せしむるものである。並に國語をしらぶるに付ても、國の古典古書に就いて國語の出所を見出すことが出來る。故に國典を講究することは國民敎育の必要の材料となります
話しが枝になりますれども序に申すことがあります。若、反對に於て一の國の人民の愛國心を磨滅せしめむとせば、其の國の人民に國の歷史を讀むことを妨げ、及本國の國語を忘れしむる爲に、他の國語を敎へ込むと云ふことが至つて巧なる策略である。露西亞の中央亞細亞の人民を手につけるには則この策略を用ひてある。此の反對の點より觀察すれば國の歷史と國語とを敎ふると云ふことは、人民に愛國心をふきこむ爲に隨一の必要と云ふことが明瞭いたすで有りましよう
故に國典を講究することは國民敎育の上で最も必要で有る。私は各國に於て國民敎育を敎育の元素の中の一部分とすることに同意するのみならず、御國に於ては國民敎育を以て敎育の腦髓とし、德育の全體を包括する所の主眼とするの一の意見が有りますが、これは後日に讓ります
さてまた「國典を講究することは斯くまでに必要である。故に政事なり、敎育なり、國典を講究するのみを以て充分滿足なるや」との問題あらば、私の意見にては否と答へなければならぬ。なぜなれば人類の智識の度は世を逐ひ、時を逐つて進步するものである。御國の人も西洋の人も支那の人も、其の中には少しづゝの長短出入は有るにもせよ、畢竟は皆人類智識進步の永遠なる年度の中に競爭進步しつゝあるに相違ない。故に外の國に新規の發明があり新規の著述が有れば、或は其の儘に採用し或は斟酌折衷して我が物にして用ふることは、智識進步の年度中にある人類の當然である。中古漢學を採用されたる時世に、 宇多天皇の詔に「則を六經に求め道を有識に問ふ」と仰せられましたが、則、聖明なる帝王の至公至平の思召である
今一ツ言はゞ例へば國と國との閒の智識の交通の關係は、なほ水平の如きもので有つて甲の池と乙の湖との閒に新に交通の水道が開けたる時は、水平の高き方から水平の低き方に落ち込んで來る勢を生じ、水平の低き方は水平の高き方に向つて吸收の力を生ずるは、自然の道理で有る。此の時に當つて若、其の水平の平均を妨げやうとするは、古人の所謂隻手を以て江河の流を塞ぐと云ふが如き者である。支那にせよ、西洋にせよ、其の文物又は藝術、機械學科等のことに於て、智識の度の進步したる高度を見る場合に於ては、我が御國の有識の士は怠らず全力を盡して、速に之を採用し又は斟酌する事が、取りも直さず、愛國の目的に適ふ所の急務必要に相違ありませぬ。但、其の採用し斟酌する際{キハ}に當つて、自他本末主客の辨別を明にすることの肝腎なることは申すまでも無い。其れ故に私の意見にては若、政事並に敎育の爲に、國典を講究するのみを以て充分滿足なりと唱ふる說あらしめば、己むを得ず之に反對せねばならぬ
右陳述する所は要するに最初或る人の問に答へて國典を講究することの必要ありと言へる一言の註解で有ります


(○皇典講究所改正ノ趣意)


凡一國經綸ノ道ハ必其國ノ習慣風俗ニ據リ深ク人心ノ嚮背ヲ察シ制度法令ヲ沿革治亂盛衰ノ由ル所ヲ繹ネ時ニ隨ヒ裁度弛張シテ國步ノ方針ヲ定メザルベカラザルハ宇內ノ通義ナリ就中我ガ國ノ如キハ世界ノ舊國ニシテ其習慣風俗ノ淵原甚遠ク人心ノ嚮背ハ唯一時ノ理論ニ依リ之ヲ左右シ難キハ歐米諸國ノ比ニ非ズ故ニ深ク我ガ國ノ習慣風俗ヲ觀察スルハ施政上闕クベカラザル要務ナリトス抑本邦開國以數千年ノ習慣風俗ヲ詳ニ觀察セントスレバ必ズ國書を研究セザルベカラザルハ言フヲ待タズ然ルニ今官私閒ノ學校學會ノ設尠カラズト雖モ專意ヲ此ニ致シ之ガ備ヲナセルモノナシ幸ニ皇典講究所ハ嘗テ國書專門ノ學生ヲ養成スル爲ニ設ケタル所ニシテ其意漸近シ故ニ今其規模ヲ大ニシ其面目ヲ新ニシ此所ニ普ク國學專門家ヲ招集シ以テ本邦文學ノ淵藪トナシ國ノ習慣風俗ヨリ政治法律經濟言語ノ沿革變遷等各自其長ズル所ニ依リテ部門ヲ分チ日時ヲ定メ互ニ講究討論セシメ苟モ我ガ國文獻ノ今日ニ徵證スベキモノハ細大此所ニ於テ研究セシムベキモノトシ功課次ヲ逐ヒ之ヲ世閒ニ頒チ學者ノ參考ニ供セバ其國家ヲ裨補センコト尠少ナラザルベシ
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プロフィール

平 春明

Author:平 春明
住まひは神奈川県鎌倉市。東京の渋谷の丘で国文学の勉強をしてゐる学生、はるあきらです。なにくれと勉強した事や、面白かつた事などをかきつらねていきます!
普段から歴史的仮名遣ひですので、こゝでも歴史的仮名遣ひです。
主に、国文学、国語学、日本数学、その他諸々、気に入つた物を紹介していきたいと思ひます。

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