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漢文いはゆる受動の「爲~所~」の構文について

 今回は、久々の漢文法の記事です。「爲~所~」といふ語法についてまとめましました。
 たしか二年前、二度目の二年生だつたと思ひますが、漢文の講読の授業で安井息軒『管子纂詁』の序文を読んでゐて、「晁公武以爲尹知章所託」といふ句に当つて、先生が「晁公武以(おも)ふに尹知章の爲に託せらる」と読んだのを聞いて、私がその読み方はをかしいとつっこんで言ひ争ひになりました。その時の私の論点は「以爲」ならわかるが「以」だけでオモフと読んでいいのか、といふのと、これは受動の文ではなく単純な「~と爲す」といふ文ではないか、といふことでした。その時は先生は、イヤイヤ、ソンナコトハナイネ、みたいな感じで折れてくださらなかつたのですが、翌週は先生の方が、やつぱりそつちの読みのはうが良いやうだ、と訂正して下さいました。
 そんなこんなの中で、「爲~所~」について調べたことがありはしたもののまとめるまでもなかつたのですが、ここ最近、読書中にふと思ひつく所があつて、まとめる気になつたので、そんな事を思ひ出しながら、実際に論証できることをまとめてみました。
 以下、本論。

 ……

 受け身を表すとされる「爲~所~」についての覚え書き。
「爲~所~」といふのは、たとへば、「趙王武臣、爲其將所殺。」。これを訓読するに二通りの流儀がある。一は、「爲2其將1所v殺」と点附けし、「其の將の爲(ため)に殺さる。」とするもの、今一つは、「爲2其將所1v殺」と附け、「其の將の殺す所と爲(な)る」とするもの。
 本稿は、両者の読みについて、後者の方が支那語の文法に適合することを述べる。
 これらは、単なる訓読の読み方の問題で実質的な支那語の問題ではないかとも思はれるが、しかし、「爲」が「なる」か「ため」か、「所~」を動詞として読めるのか否かは、実は文字の用法や漢文の構造の理解に関はる問題である。
 本稿は、訓読を素材にして議論をするものの、眼目としては漢文法の解剖をしてその用法の理解を助けんとするにあるのであつて、訓読法としてどちらを採用する方が適当かといふ問題はひとまづ措いておく。
 実は、この構文の解釈については、先人に於いて既に議論が尽きてゐる所であるから、それを紹介するとともに、稿者なりの整理をしようと思ふのである。

 ……

 「爲~所~」に二通りの読みがあることは、一般的に知られてゐることであるが、「タメ」式で読むとどうも妙な文に出喰はすことがある。
 『史記』高祖本紀に(訓點は皆稿者。以下同)

高祖擊v布時、爲流矢所中、行道病。


 『漢書』高帝に

上擊v布時、爲流矢所中、行道疾。

とあるが、これを「流矢の爲に中てらる」と読むと、矢が主体性を持つて高祖に何かを中てたやうに聞える。文意としては、高祖ガ流矢ニ当ツタといふことであるから、まう少しゆるく読んで「流矢の爲に中たる」とする方が語呂がいいが、なほ違和感があるやうに思はれる。
 また『漢書』揚雄傳に

客難2揚子1曰「凡著v書者、爲衆人之所好也。美味期2乎合1v口、工聲調2於比1v耳。……」

といふ文句がある。「爲衆人之所好也」の「所」の前に「之」があることからしてこの「所好」は動詞ではなく名詞として捉へなければならず、しかも上の「衆人」と繫げて一体に解すべきである。「所好」を「好マルヽ」と讀むとこの構造に叶はないやうである。
 つまり「衆人之所好」といふ体言に「爲」が係つてゐるといふ構造で理解される。「爲」はこの場合、「ナル」の方が適切である。上の流矢もそのやうに理解して「流矢の中る所と爲る」と読んで差し障りないし、むしろその方が自然に理解される。
 以下に、この例の如く、「爲~所~」の構文における「所~」は名詞であり、「爲」は「ナル」の意であるといふ事を証明したいと思ふ。

 ……

 この「爲」は本来「タメ」ではなく「ナル」である。
 助字の用法を解説した清の劉淇の『助字辨略』には、「爲」字が平声のものと去声のものとに分配せられ、それぞれ異なる用法を示してをり、平声の「爲」の中に

又漢書高帝紀「趙王武臣、爲2其將所1v殺。」此爲字、猶v云v被也。

といふ例が示されてゐる。「タメ」は去声の方にあり、次のやうな例が挙がる。

猶v因也。孟子「爲2其象v人而用1v之也」。

又論語「爲v人謀而不v忠乎」。此爲字、猶v與也。凡心嚮2其人1曰v爲。如2史記呂后紀「爲2呂氏1者右襢、爲2劉氏1者左襢」1、是也。


 なほ、『論語』學而の「爲v人謀而不v忠乎」の「爲」は、『經典釋文』と『論語集疏』が同じく「爲、于僞反、如v字也」とし、『論語集注』に「爲、去聲」とあり、去声に解される。
 『廣韻』では、平声の「爲」に「爾雅曰「作・造、爲也」。…薳支切。」とし、去声「爲」に「助也。于僞切。」とする。「助也」は、『論語』述而の「夫子爲2衞君1乎」の「爲」字が、『集解』に「孔安國曰、爲、猶v助也」とあるのがそれである。タスク・クミス(與)・タメニといふのは意義が通じるのであらう。
 古い例で、「ナル」が平声で、「爲~所~」の「爲」がさうであるといふ証については、今の所、先の『助字辨略』以前のを見つけられてゐない。たゞ、今の中国語でも、やはり「爲~所~」の「爲」は第二声「ツクル・ナス・ナル」で、第四声「タメ」ではない。
 日本では古くからこれを「タメ」と読んでゐたが、これが支那語と適合しないことは、夙に太宰春臺が指摘してゐ、また、大坂の懐徳堂では、中井竹山などによつてこのことが研究され、実際に「~スル所ト爲ル」といふ訓読がはじめられた。(参考…“竹山先生国字牘 - 新建懐徳堂” 及 “大阪大学リポジトリ: 江戸期漢文訓読における懐徳堂点”(佐野大介)

○太宰春臺『倭讀要領』卷中「倭讀正誤」(http://www.wul.waseda.ac.jp/kotenseki/html/ho02/ho02_04738/index.html)

爲某所云云トイフ言ヲ、爲字ヲタメト讀テ、某ノタメニ云々セラルト讀ムハ誤ナリ、爲字去聲ナラバタメニト讀ベシ、此爲字ハ字ノ如ク平聲ナリ、爲所ノ二字ヲ用ルハ、某ノ云云スル所トナルトイフ意ニテ、爲所ノ二字ヲ合セテ、ラルヽトイフ義ナリ、故ニ爲某所云云トイフ言ヲバ、某ニ云云セラルト讀ベキナリ、或ハ某ノ云云スル所トナル、某ノ云云スル所タリナドヽ讀テ好キ處モアリ、上下ノ文ヲ詳ニシテ、宜キニ隨フベシ、又爲字バカリアリテ、所字ナキ處アリ、論語ノ不爲酒困是ナリ、酒ニ困セラレズト讀ベキヲ、俗儒酒ノミダレヲナサズト讀ムハ誤ナリ、所字ナケレドモ、有ル意ニテ、爲字バカリニモ、ラルヽトイフ意アリ、又所字アリテモナクテモ、爲某トイフ下ニ、之字入タル處モアリ、カクノ如ク字法一樣ナラザレドモ爲字所字ニ、皆ラルヽトイフ意アル故ニ、其義ハ同キナリ、爲字去聲ニアラザルコト、是ヲ以テ知ベシ



○中井竹山「答魚石」…『竹山國字牘』懷德堂遺書(http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/756205/14)

爲所ノ字ヲ用ル文法ノコト、カネテモ申ス如ク、吾庠中ニテ論定ノコト、本邦ノ諸儒往々コレヲ辨明セズ、爲ヲ去聲トシ、所ヲ、ルト訓ズルヨリ、所ヲ被又ハ見ノ字ト混用スルヨウニナリタル、大ナル誤ナリ、爲ハ平聲ニテ、所ハ字ノ如クヨミ、イヅクニテモ爲(ル)2何(ノ)所(ト)1v何(スル)ト副墨スベキコトナリ、被ノ字ノ被(ル)v何(セ)トヨムトハ、別ノコト也、決シテ混用スベカラズ、故ニ盆成括見殺ノ如キニテ見ベシ、見ヲ被ニ作リテモ同ジコト也、所ニ作レバ盆成括ガ人ヲ殺シタルコトニナル也、大ナル違ヒナリ、大日本史中ニ爲(ニ)v何(ノ)被(ル)v何(セ)、又ハコノ被ヲ見ニ作ルノ文、編中ニ層見累出セリ、當時常藩ノ諸名士サヘ、コノ心付ナカリシト見エタリ、大和習ト云ベシ、……



 また、近くは西田太一郎『漢文法要説』にも起源的な説明がされてゐる。(百〇九ページ)

……いま「甲ガ乙ヲ愛ス」れば、「甲愛(ス)v乙(ヲ)」となり、乙は「甲(ノ)所v愛(スル)・甲之所v愛(スル)」である。「魚(ハ)我(ガ)所v欲(スル)也」がこの形式である。この「乙(ハ)甲(ノ)所v愛(スル)」に「為」を挿入して「乙爲甲所愛」としたのが受動の形式である。この場合「為」は平声でナル・ナス・ツクルであり、去声タメニではない。従つて「乙爲(ニ)v甲(ノ)所(らル)v愛(セ)」と読むのは原則的にいけない。「乙爲(ル)2甲(ノ)所(ト)1v愛(スル)」は本来的には「乙ハ甲ノ愛スル相手デアル」「乙ハ甲ノ愛スル相手トナル」である。これは英語などの受動形式と軌を一にしている。……



 ……

 また、この「所」が受動の動詞を作るやうな詞ではないことは、先の『漢書』揚雄傳の例などで理解される。(「之」が入る例は、先に眞諦訳『大乘起信論』の中で初めて見つけたので気がついた。)

客難2揚子1曰「凡著v書者、爲2衆人之所1v好也。美味期2乎合1v口、工聲調2於比1v耳。……」


 「之所」単独では次のやうな例。(『史記』滑稽列傳・優孟)

馬者王之所v愛也。


 「所」は、『助字辨略』には次のやうに述べられてゐる。

所 處所也。借爲2語助1。然凡云v所皆有2所在1。雖v不v爲v義要自與2而以之屬1別。如2論語「視2其所1v以、觀2其所1v由、察2其所1v安」。所以・所由・所安皆有2方向1、故云v所也。…


 「所」はものの場所を表すのが原義で、助字に派生して、その動作や作用の方向を示す。文法的にいへば、目的語を指定する働きがある、といふやうに言へるか。いづれにしろ「所」が作る句は名詞的になる。これが所の基本的な用法であつて、「爲~所~」の構文もまた、こゝから出るものではない。

 ……

 要するに、「爲~所~」といふ構文は、受動を表すとは呼ばれるが、それは文全体から生じてくる意味合ひとしての名に過ぎない。これを理解するのに、「爲」も「所」も字の通りの意味で解釋すれば「~する所と爲る」といふ語法になつて、結果的に全体が受動的な意味を帯びるやうになるのだと考へれば、何ら難しいものではなく、特殊な文法法則のやうなのを持ち出す必要もそこまでない。
 以上、「爲~所~」の構文の漢文法的な解釈を示した。
 本稿を書くに当つては、ジ氏、ナ氏、ト氏に大きな助言を賜つた。懐徳堂点の存在はジ氏の御教示によつて始めて知つた所で、この先人の偉大な学問を拾ひ上げることができたのは偏に氏のお陰である。誠に世に知られて然るべき学問であると思ふ。各氏のおかげによつてこの稿の成つたこと、こゝに感謝の意を表します。
 以下、附録として、春臺『倭讀要領』の當該條と竹山「答魚石」の全文を載せておく。底本はリンクの通り。

 ……

○太宰純『倭讀要領』卷中「倭讀正誤」(早稲田古典籍総合データベース http://www.wul.waseda.ac.jp/kotenseki/html/ho02/ho02_04738/index.html 中の三十四枚目

爲某所云云トイフ言ヲ、爲字ヲタメト讀テ、某ノタメニ云々セラルト讀ムハ誤ナリ、爲字去聲ナラバタメニト讀ベシ、此爲字ハ字ノ如ク平聲ナリ、爲所ノ二字ヲ用ルハ、某ノ云云スル所トナルトイフ意ニテ、爲所ノ二字ヲ合セテ、ラルヽトイフ義ナリ、故ニ爲某所云云トイフ言ヲバ、某ニ云云セラルト讀ベキナリ、或ハ某ノ云云スル所トナル、某ノ云云スル所タリナドヽ讀テ好キ處モアリ、上下ノ文ヲ詳ニシテ、宜キニ隨フベシ、又爲字バカリアリテ、所字ナキ處アリ、論語ノ不爲酒困是ナリ、酒ニ困セラレズト讀ベキヲ、俗儒酒ノミダレヲナサズト讀ムハ誤ナリ、所字ナケレドモ、有ル意ニテ、爲字バカリニモ、ラルヽトイフ意アリ、又所字アリテモナクテモ、爲某トイフ下ニ、之字入タル處モアリ、カクノ如ク字法一樣ナラザレドモ爲字所字ニ、皆ラルヽトイフ意アル故ニ、其義ハ同キナリ、爲字去聲ニアラザルコト、是ヲ以テ知ベシ



○中井竹山「答魚石」…『竹山國字牘』懷德堂遺書(国会図書館デジタルコレクション http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/756205/14)

爲所ノ字ヲ用ル文法ノコト、カネテモ申ス如ク、吾庠中ニテ論定ノコト、本邦ノ諸儒往々コレヲ辨明セズ、爲ヲ去聲トシ、所ヲ、ルト訓ズルヨリ、所ヲ被又ハ見ノ字ト混用スルヨウニナリタル、大ナル誤ナリ、爲ハ平聲ニテ、所ハ字ノ如クヨミ、イヅクニテモ爲(ル)2何(ノ)所(ト)1v何(スル)ト副墨スベキコトナリ、被ノ字ノ被(ル)v何(セ)トヨムトハ、別ノコト也、決シテ混用スベカラズ、故ニ盆成括見殺ノ如キニテ見ベシ、見ヲ被ニ作リテモ同ジコト也、所ニ作レバ盆成括ガ人ヲ殺シタルコトニナル也、大ナル違ヒナリ、大日本史中ニ爲(ニ)v何(ノ)被(ル)v何(セ)、又ハコノ被ヲ見ニ作ルノ文、編中ニ層見累出セリ、當時常藩ノ諸名士サヘ、コノ心付ナカリシト見エタリ、大和習ト云ベシ、然ルニ先日ノ面話ニ、武經七書中ニ爲被ノ文法アルヨシ、扣問ニアヅカリタレドモ、コレ華人ノ口氣ニカツテナキコトユヘ、疑テ信ゼザリシニ、歸邑後檢セラルレバ、誤記ニテ、ソノ文ハナキヨシ、寔ニ然ルベキコトナリ、サテ右ノ誤記ハ、六韜中ノ注ニ、被人所虜ノ文アリテ疑ハシカリシナリトノ由承ハル、コノ文法、イカニモムツカシ、コレハ全ク爲(ル)2人(ノ)所1v虜(ニスル)ト同意ニテ、ヨミガタシ、人ノ虜ニスル所ヲ被ムルトヨミオクベシ、必竟ハタヾ二字ニテ被虜トバカリ云ベキトコロヲ、人所ノ字イリテ、コトハリスギタルナリ、總ノ和語ニテ回轉シテ讀ニ、ヨミガタキ所ハ、漢文ニテモヤハリ語路ノ少シクヒチガヒタル也、和漢ノ讀法ハ異ナレドモ語路ハ全ク同ジコトナル故ナリ、大家ノ文ニモタマサカニハ讀ノ下リガタキコトアリ、漢語ハ直讀ユヘ少シ語路ノ常トチガヒタルモソレナリニスミ、廻讀ニテハユキアタリテヨミガタキヤウニナルナリ、平生回讀ニテ、顚倒ノ病デキヤスクナルコト、文人ノ一厄ナルニ、オリニハ回讀ニテ却テ語路ノ正ヲ失ハヌコトアリ、文章ノ道アヂナルモノナリ、試ニ一二ヲ擧テ證スベシ、韓昌黎ノ上張僕射書中ニ、忘其將所以報德者ノ句アリ、コノ將マサニトバカリカ、ハタトヨミオケバ、マヅスムヤウナレドモ、凡ソ將ノ字ハ必ズ回轉シテ、ストヨマルヽ所ニアルコトナリ、コハ回リテハ讀ベカラズ、常式ヲ以テ推トキハ、コヽニハ將ノ字カ、所ノ字カ、一字ハナカルベキトコロナリ、又歐陽子ノ恠竹辨ニ使竹雖有知ノ句アリ、使ノ字讀ムベカラズ、雖使竹有知トナクテハ叶ハザルトコロナリ〈恠竹辨ヲ古文崇正ニ選(?)ンデ韓退之トアルハ非ナリ、韓集ニナク、歐集ニ見ヘタリ〉コノ文法ノ源ハ、淮南子ニ出タリ、使其姓雖不愚トアリ、又使未嘗鼓瑟者、雖有離朱之明攫掇之トアリ、又史記ニ出タリ、衞青ノ傳ニ、且使臣職、雖當斬將云々トアリ、コノ外ニモ見ヘタリ、歐文ニハ多ク用ラレタリ、又蘇老泉ノ、高祖論ニ、使雖有變而天下不搖ノ句アリ、コノ使ハ下ノ不搖ニカヽリテ、雖ニハツヾカザルユヘ、讀ベカラザルニハ非ズ、サレドモ、常法ヲ以イヘバ天下ノ字ヲ使ノ下ニオクカ、サナクバ使ノ字ハ變而ノ下ニアルベキトコロナリ、然レドモ華人ノ語ニ、不順ノコト決シテナク、況ヤ古今ノ大家ノ文ニ、アニ疎脫アランヤ、コレ他ナシ、回讀直讀ノ別ナリ、回讀ニテハ口ニタマリテ或ハ讀ベカラザルニ至ルモ、直讀ニテハサシテ口耳ニ礙ルコトモナク、時ニ奇ヲ出シテ常套ヲ守ラザルナリ、コレラ文人ノ心ヲ付ベキコトナリ、上文喩サルヽ被所モ、コノ類ヲ推テミレバ深ク怪シムニ足ラザルベシ、序ナガラ申スベシ、總テ漢語ハ用ヲ先ニシ體ヲ後ニシ、和語ハコレニ反スレバ、回轉セザレバ通ゼズ、サレドモ多キ中ニハ、漢語ノ體用、全ク和語ト一揆ナルアリ、詩ノ東方自(リ)出、左氏ノ室(ニ)於怒(リ)市(ニ)於色(ス)ノ類コレナリ、マタ和ノ雅語ノ君トナリ臣トナリ、主トナリ客トナルノ、トノ字ヲ今ノ俗語ニ君ニナリ臣ニナルト云、コノニノ字甚ノ俗語ニテ、雅語ノ父ニ孝アリ、子ニ慈アリ、京ニユク、奈良ニユクノニノ字トハ大ニ異ナリ、漢語ノ于於ナドノ字ハ、雅語ノニニアタリテトニハ叶ハヌコト常ナリ、然ルニ易ノ武人爲于大君ノ于ハ、今ノ俗語ノニニ必至トアタリタリ、千歲ノ上周初ノ語氣、ソノ以來ノ漢語ニハ、一ツモアタラズシテ、本邦今日ノ大俗語ニ叶フモ不思議ナリ、漢語ニテハ助字ノナキハヅノトコロナリ、學者コレラヲ活看シ、全體ノ語氣ヲ領會シ、サテ筆ヲ執トキ、常ヲ守テヨク變ニ通ジ、奇ニ騁テモ正ヲ失ハズ、一言半句ヲ發スルニモ、和習ヲ一洗シテ筆ノタテドコロニ超邁不凡ノ氣アルコトヲシリナバ、莊騷班馬唐宋八家ミナ我筆ノ根抵花葉トナリ、百鍊千鍛鎔化鑄成シテ、愈出シテイヨヽヽ窮マラザルベシ、茫々タル蜻域ノ內、古今コノ關ヲ透リ得ルハヨク幾人ゾヤ、噫


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プロフィール

平 春明

Author:平 春明
住まひは神奈川県鎌倉市。東京の渋谷の丘で国文学の勉強をしてゐる学生、はるあきらです。なにくれと勉強した事や、面白かつた事などをかきつらねていきます!
普段から歴史的仮名遣ひですので、こゝでも歴史的仮名遣ひです。
主に、国文学、国語学、日本数学、その他諸々、気に入つた物を紹介していきたいと思ひます。

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