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「幸」の字源は枷の形ではないの論

 この稿では、幸の字源について論じます。結論としては現在の甲骨文説が誤りだといふ話になります。
 まづ、いつからかは分かりませんが(おそらく白川静翁からかと思はれます)、甲骨文学以降、幸の字の字源が甲骨文に見える手枷の象形字で、「死刑だとか悪い処罰が下されるかと思つたら手枷の刑で済む、といふ事から思ひがけない幸せの意味になつた」といふやうに説く説が行はれてゐて、漢字の専門書でもこの説を取つてゐるものが多いですし、テレビやら雑書にも取り上げられて一般でも雑学として知つてゐる人は多いのかと思ひます。本稿ではこれが誤りである事を証したいと思ひます。
 結論の方をいひますと、甲骨文に見える手枷の字は幸福の幸の字とは別の字で、幸福の幸は他の字源を持つた字であるといふ事です。

平成廿九年正月十三日、白川静『説文新義』を調査した結果を追記・補足
 白川翁の説は『字通』の「幸」をみると次のやうにあります。(五〇三ページ)

手枷の形。これを手に加えることを執という。〔説文〕(十下)に「吉にして凶を免るるなり」とし、字が屰(ぎやく)と夭(よう)とに従い、夭死を免れる意とするが、卜文・金文の字形は手械の象形。これを加えるのは報復刑の意があり、手械に服する人の形を報という。幸の義はおそらく倖、僥倖にして免れる意であろう。のち幸福の意となり、それをねがう意となり、行幸・侍幸・幸愛の意となるが、みな倖字の意であろう。〔説文〕にまた幸部(十下)があり、「人を驚かす所以なり。大に從ひ、■(じん)に從ふ。一に曰く、大聲なり」とし、「一に曰く、讀みて瓠(こ)の若(ごと)くす。一に曰く、俗語、盜の止まざるを以て■(でふ)と爲す」とあり、睪・執・癸・盩・報・𥷚の諸字がその部に属する。睪は獣屍の斁解する形、他はみな手械に従う形である。幸福の義は倖。〔独断・上〕に「幸は宜幸なり。世俗、幸を謂ひて僥倖と爲す。車駕の至る所、民臣其の德澤を被り、以て僥倖となす。故に幸と曰ふなり」とみえる。


 甲骨文の手枷の形といふのは、↓のURLのかういふものです。
http://xiaoxue.iis.sinica.edu.tw/jiaguwen?kaiOrder=23591 小學堂甲骨文(㚔)
 金文でも同じです。
http://xiaoxue.iis.sinica.edu.tw/jinwen?kaiOrder=23591 小學堂金文(㚔)

 わたくしがはじめにこの考へをする最初のきつかけを見つけたのは、伏見冲敬先生の『草書をおぼえる本』(二玄社、昭和五十八年刊)で、その第五十五番の幸の草書の解説に以下のやうにあります。

 幸が何故右から逆に筆が入ってくるのか、その理由はもとはわからなかったものである。この字は本当は大(稿者注、犬の誤植か)と羊に従うので、説文も間違っていた。西域出土の漢代木簡中にあるが、ジャヴァンヌなどはまだ読めなかった。それ以前からよく知られている漢印の字の中に、古くは「年」と読まれていた字が幸にほかならないことは河井荃廬が気がついて高田竹山に教えたのだと、竹山は正直に「朝陽字鑑精萃」の中に書いている。このことは案外今日一般の人々が知らないようなので、ちょっと言及した。


幸漢 幸草書草書
(同書より)
犬の字の草書は右から逆に入るので、その字形がもとになつてゐるから幸の草書も右から入るのだといふ説明です。漢代の幸の字が犬と羊とに作つてゐます。

 『朝陽字鑑精萃』の「幸」字には次のやうにあります。(訓点は本の如し)

 按、舊皆釋v年、余甚疑v之、或謂此祥字繆體、而从v犬最奇、後與2荃廬兄1相逢、談偶及2此字1、兄云、此𡴘字、漢札有v證、出2流沙墜簡1、相譣卽有2■[犬/羊]母相忘、又不[犬/羊]云々之語1、羅王諸氏已釋2𡴘字1、於v是乎十數年之疑、一朝解決、因謂、夭譌爲v犬猶2芺譌作1v𦬫、夭字有2■■二篆形1故也、又𡴘㚔二字、漢人相混、互有2作v羍者1、故𡴘下又譌爲2羊形1、遂至v不v可c以2六書1律av之、漢人之妄不v甚耶、

 (訓読)按ずるに旧と皆年と釈す。余甚だ之を疑ふ。或いは謂へらく、此れ祥字の繆篆ならんかと。而れども犬に從ふは最も奇なり。後荃廬兄と相ひ逢ひて、談じて偶ま此の字に及ぶ。兄云はく、此れ𡴘字なり、漢札に証有り、流沙墜簡に出づと。相譣ずれば即ち幸母相忘る、又不幸云々の語有り。羅(振玉)王(国維)諸氏已に𡴘字に釈す。是に於いてや十数年の疑ひ、一朝にして解決す。因りて謂へらく、夭譌りて犬と為るは、猶ほ芺の譌りて𦬫に作るがごとく、夭字に■■の二篆形有るが故なり。又𡴘㚔の二字、漢人相ひ混じ、互ひに羍に作る者有り。故𡴘の下又譌りて羊形と為り、遂に六書を以て之を律す可からざるに至る。漢人の妄甚しからずや。


幸朝陽

 竹山翁が「𡴘」(「幸」の古い字体)と言つてゐる字は、説文・巻十・夭部に

𡴘 吉而免v凶也。从v屰从v夭。夭死之事。故謂2之不𡴘1。〔胡耿切〕


とあります。夭死に逆らふ事が幸であるといふ事です。普通幸福の幸の篆書はこの字とされ、この字に從ふ字は説文の中では婞緈があります。一方でまた楷書で「幸」に釈されることのある字に同じく十巻の㚔部の「㚔」があります。

㚔 所2以驚1v人也。从v大从v𢆉。一曰大聲也。凡㚔之屬皆从v㚔。一曰讀若v瓠。一曰俗語以2盜不1v止爲v㚔。㚔讀若v籋。〔尼輒切〕


 この字に從ふ字は、同部に、睪執圉盩報𥷚があります。この両者は形も義も音も異なる字ですから、説文では別字であることは明らかです。㚔は今は単体では用ゐられませんが、これを偏旁に持つ執や報や睪などが楷書で幸と同形になつてゐるのは、竹山翁が「𡴘㚔の二字、漢人相ひ混じ、互ひに羍に作る者有り」といふ通り、隷変の字形変化による合流に過ぎません。普通に考へれば、両者は別の字といふ事になります。しかし、白川翁の説ではそもそも𡴘の説文の解字を否定して「卜文・金文の字形は手械の象形。」として、両者を同一のものとし、㚔から派生して幸福の意が出たとしてゐます。それには何か基づく所があるのでせうか。
(以下追記…廿九年正月十三日)
 白川翁の『説文新義』を見ると、幸の字に

下文に㚔部があり、……讀若に二音あり、說解に混亂のあることが知られるが、瓠は幸に從う字の譌形とみられ、執の音のようである。圉・報の字はみなその部に屬する。その幸形はもと■(○甲骨文「㚔」)に作り、手械の象。ゆえに執報の字はみな幸に從う。字形は、幸は夭屰に從い、㚔は大𢆉に從うとするも、幸には夭屰に從う字形を考うべき資料がなく、㚔はもと械具の象で、卜文・金文に多くその象をみることができる。何れも隷釋して幸となる字形である。
思うに幸はもと下部の夲と字形近く、皋・睪の從うところがその字であろう。もし夭屰の會意字があつたとすれば、夭は妖・䄏の意であるから、これを逆止して幸の意を求めえないこともないが、造字の法からみて不自然であり、またその字形を徵すべき證を求めがたい。卜文・金文に字の用例なく、論語・左傳以下に至つてその字がみえる。幸の聲義は婞・悻の字に存し、㚔の形義は執・報の字がこれを承けている。漢隷では修周公禮殿記〔隷釋・卷一〕に「人褱僥㚔」、樊毅復華下民租田口筭碑〔同・卷二〕「遐邇大小、莫不㚔甚」など幸を㚔に作り、また故民呉仲山碑〔同・卷九〕「元少不幸、棄世早亡」、〔同・卷一九〕魏大饗碑「幸舊邦、設高會」などは幸字を用いる。㚔・幸の字形は早く混用されているのである。幸は皋・睪の從うところがその初形。獸屍の槁暴の象。ゆえに婞直という。これを吉凶の意に用いるのは假借義であろう。


 㚔の方には次のやうな記述があります。

讀若瓠の瓠は、地理志注に幸瓜に從うて孤の音としており、㚔は執の從うところの字である。幸は上文に夭屰に從う字とするが疑問とすべく、もと皋・睪・暴の從うところで哭屍槁暴の象。本條の㚔は執の從うところでその字は械器の象である。


 「幸は皋・睪の從うところがその初形。獸屍の槁暴の象。」「皋・睪・暴の從うところで哭屍槁暴の象。」とあつて、「獸屍の槁暴」「哭屍槁暴」といふのは、屍體の乾き朽ちることです。「幸の聲義は婞・悻の字に存し」、「ゆえに婞直という」といふのは、「婞直」は剛直の義ですから、カチカチに固くなるといふ意味でいふのでせう。「これを吉凶の意に用いるのは假借義であろう。」といひ、たゞ字を仮りただけと見なし、まだ『字通』のやうに「㚔」と混同して手枷から字義を導くやうな説明をしてゐません。むしろ「夲」字との字形的関聯を説き、漢隷以降「幸」と「㚔」の字形が混用されるといふ説明をしてゐます。
 しかるに、『字通』では、獸屍の槁暴の象の説を取らず、直ちに㚔に𡴘の起源を求めて、「屰(ぎやく)と夭(よう)とに従い、夭死を免れる意とするが、卜文・金文の字形は手械の象形。これを加えるのは報復刑の意があり、手械に服する人の形を報という。幸の義はおそらく倖、僥倖にして免れる意であろう。」としてゐます。不思議なことに、もともと別字であるといふ理解であつたのが、同字であると解釈するやうになってゐます。なぜでせうか。「皋・睪・暴」の従ふ所の字の仮借であることの説明が足りないことに不満があつたのでせうか。新義にいふ通り説文の会意字説はもはや受け入れるべくもないから、一から考へなほして、このやうな合理的な説明ができると思はれるやうな、独創的な見地に至つた、といつた所でせうか。真はわかりません。
(追記以上)
 実際の古文字でみてみます。徐中舒主編『甲骨文字典』を見ると、甲骨文で「執」や「報」などの字に含まれる偏旁になつてゐる字は例の手枷の象形字です。つまり甲骨文の手枷の字は説文の㚔に相当するわけですが、果たしてこれが実際に幸ひの意味で用ゐられるやうになり、説文が別の字としてゐる𡴘の字はこゝから派生したものなのかを確めてみます。㚔の甲骨文字典の解字には次のやうにあります。

象2刑具手梏之形1。殷壚出土之陶囚俑有2兩腕加v梏者1、其梏與2此字字形1一致。梏本作2■形1、使用時將2人之兩腕1枷2入中間圓孔1用v繩縛2其兩端1〔參見郭寶鈞《中國青銅器時代》二一六頁〕、即為2甲骨文■構形之所1v取v象。《説文》篆文譌為v㚔。……《説文》謂2㚔讀若1v籋、㚔實即籋之本字〔參見于省吾《甲骨文字釋林・釋㚔、執》〕。㚔本刑具、因用3於拘2執俘虜・罪隸1、故卜辭中引2伸之1而有2執義1。


(訓読)刑具手梏の形を象る。殷壚出土の陶囚俑に兩腕に梏を加へたる者有り、其の梏と此字の字形と一致す。梏は本と■の形に作り、使用する時に人の兩腕を將つて中間の圓孔に枷入し、繩を用つて其の兩端を縛る、即ち甲骨文に■構形の象を取る所為り。《説文》篆文は譌りて㚔と為す。……《説文》に「㚔は讀みて籋の若し」と謂へば、㚔は實は即ち籋の本字なり〔參見于省吾《甲骨文字釋林・釋㚔、執》〕。㚔は本と刑具、因りて俘虜・罪隸を拘執するに用ゐ、故に卜辭中之を引伸して執の義有り。


 説文の㚔はこの手枷の象形が訛つたものであるとし、甲骨文の中では引伸して「執」の義として用ゐられてゐるとします。㚔は執の初文(先祖の字)といつて可でせう。これに跪く人の象を加へて、手枷をかける形が執の字となつたのでその指す所の言葉は同じ「シフ」といふ「執へる」意です。㚔の例文は、

・貞我弗其㚔■方。   (訓読)貞(と)ふ。我れ其れ■方を㚔(とら)へざるか。  ……■方は固有名詞
・卜㱿貞聝㚔羌王■曰有。   (訓読)卜㱿貞ふ。聝は羌王を㚔へんか。■(うらなひみ)て曰く、有りと。 ……この■は[口][卜]:包囲結構の字


と執へるの意でありますが、幸福や僥倖の例は挙がつてゐません。㚔の本義は手枷でありしかも甲骨文での用例は執の意味であり、㚔が幸福の意味に用ゐられたことは甲骨文の用例には直截的な根據が見えません。『新義』で既に、𡴘の幸字が甲骨文に見えないことを認めてゐることからすると、白川翁の「僥倖」説は、殷や周代以降に出てきた引伸義として考案されたものと思はれます。しかし、もし手枷の意から転じた意味であつたとしても、両字はそもそも音韻が異なり別語として認められるものであつて、両者の関係は、引伸といふより、「禾」を「禾」「年」に用ゐ「且」を「且」「祖」に用ゐるといふやうな異語同字の用例として考へなければなりませんが、そのやうな説明は白川説にはありません。
 説文の𡴘にあたる漢代の犬羊の幸が、漢代、㚔から転訛して出来たのではないかといふ考へに対しては、秦や前漢の古隷にも同様の字が見えることからすると、可能性は低いです。
幸睡 幸銀
左:『睡虎地秦簡文字編』 右:『銀雀山漢簡文字編』
これらの字書は𡴘の字例を㚔の親字に当ててゐますが、実際は犬羊の𡴘なのはお分かりになると思ひます。また、これらの字例における𡴘とそれと同時に存在した「執」や「報」の字との字形の違ひを取つても、仮に幸が㚔の変易字形だとすると、㚔が偏旁になつた執・報には手枷の字形が保たれてゐて、㚔単体の方はそれから大に変易してゐる、といふのは、たとへば水が散水になり火が烈火になるやうに、単体よりも偏旁になつたものの方が字形に変易が起こり易いといふ普通の傾向とは反対の状態にあります。もし転訛があるとすればこれよりさらに古い時代と見倣さなければなりませんが、殷周時代では執の意しか見えず、その意味と字形の分化の跡を証することができません。春秋末の金文の中山王サク方壺に㚔の字が現れてゐますが、固有名詞です。
 以上の事からして、甲骨文の㚔を𡴘に同定する根據はなく、㚔の字形と𠂷の字形とは連続的な繋がりは無いと私くしは思ひます。ではもしさうなら、何故このやうな説が出たのかといふと、それは、飽くまで推測ですが、
 ・𡴘と㚔とが楷書において同字形であることが、篆書の字形の違ひを知つてゐながら両者の字源を結びつけたくなる発想をもたらした。(あるいは最初の発案者は、後から説文の篆文の違ひを知つたのかもしれない。)(白川翁は説文の二字の別を知つてゐたやうですが、恐らく、「幸」が「夭屰」に従ふといふ説文の説を否定したことによつて、一から考へ直し、そこで漢隷において「幸」字に「幸」「㚔」の両方の字形が混用されてゐることに注目して、ある種の異体字のやうに、「幸」も「㚔」も同源であると考へるに至つたのでせう)
 ・当時甲骨文字による古文字の実証研究が盛んになつて、説文に対する懐疑を強めた時代であつたので、上の説を強めるため、説文に存在する両字の対立が、無条件的に放棄・否定された。(白川翁は『新義』で説文に二字の別があるのを確かに認めてゐますから、『字通』の説は、その説文の説を否定できたから成立したやうにみられます。)
 ・殷周で㚔字単体が使用されなくなつた後に戦国時代に𡴘字が生まれ、同時代の資料で両者の存在が対照され得なかつたため、あたかも両者が、同一の一字を殷周には㚔に作り秦以後は𡴘に作るかのやうに、歴史的に連続する一文字として錯覚された。(『新義』の説も『字通』の説も、甲骨文に純粋な「幸」字が見えないことと論語・左傳以降に出てくる「幸」字との間を埋め合はせるやうに理が組まれてゐます。)
 ・戦国時代の文字研究がまだ進んでゐなかつたために秦簡の幸字の実例を参見することができず、説文の字解を証して反論することができなかつた。
といふやうな理由があるかと思ひます。そもそも、両者には、字形が違ふ、字義が違ふ、字音が違ふといふ三者の相違があるにも関らず、そこからあたかも両者が同一のものであると考へ始めるのはとても神妙な話で、よほどの証拠がない限りはその実状を否定してまでこれを肯んずるわけにはいかないはずです。たとへば誰かが肉の字は月の字と同源だと言ひ出しても、我々はそれらが字形・字音・字義からして別源であることを知つてゐるので、信ずべき所はありません。それが𡴘と㚔の字については妄りに信じられてゐるのは、偏へに、篆書時代の常識は一般に知られることが少ないからでせう。この説が立てられたのも、篆書に暗い者が楷書の字形に惑はされて出てきたやうな感を覚えます。説文の説を否定した上で、その時見られる古代文字から字源を推測したものと考へられますが、当時は戦国文字の資料もまだ少なかつたため、最もらしい道理を立てることでしか説明ができなかつたものと思はれます。

 𡴘の早い時代の例は、戦国時代の𡴘について、次の論文があり、その字形の成り立ちが考察されてゐます。
「释上博竹书《昭王毁室》的“幸”字」 http://www.bsm.org.cn/show_article.php?id=134
 季旭昇氏などは幸を犬と羊とに従ふ字として、人の美味として幸とするものだからとしてゐますが、この論によると、実はその字形は羊に従ふのではなく、戦国時代の幸字は犬と矢の倒文とに従ふ字だとみなされます。しかし実例も少ないので解明はこれからになるでせう。

 以上の通り、甲骨文の㚔を幸福の幸の字源と見なすことには根據がなく、両者は無関係な字であると考へられます。御覧の通り何も新しい説ではなく、近年の中国などの文字学者にとつては普通の事であると思はれますが、このことは案外今日まで批判が出てゐないやうなのでちょっと言及しました。まだ資料も見てゐないものがありますし、考証の不足もあるかと思ふので、御批正頂けたら𡴘ひです。
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プロフィール

平 春明

Author:平 春明
住まひは神奈川県鎌倉市。東京の渋谷の丘で国文学の勉強をしてゐる学生、はるあきらです。なにくれと勉強した事や、面白かつた事などをかきつらねていきます!
普段から歴史的仮名遣ひですので、こゝでも歴史的仮名遣ひです。
主に、国文学、国語学、日本数学、その他諸々、気に入つた物を紹介していきたいと思ひます。

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