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『憲法義解』伊藤博文

憲法義解(岩波文庫版)
伊藤博文著 宮沢俊義校注

明治二十二年、詔勅により大日本帝国憲法が発布され、日本は立憲政体を樹立した。また同時に、国家の主権者たる天皇の皇室における決まりごとを定めた皇室典範も勅定された。
憲法義解は、これら両部の内容を注釈した「大日本帝國憲法義解」と「皇室典範義解」との両篇を合せたものであり、解説によると、憲法起草時にひかへてあつた逐次説明書をもととして、それを伊藤博文の私著といふ形で、発布と同じ明治二十二年に公刊したものである。義解の実際の起草は井上毅の手稿が元になつてゐるが、憲法自体、井上毅の意図が大きく反映されてゐるのであり、この義解によつて憲法に植ゑられたその根本の思想を見て取ることができる。井上毅は、維新後渡欧し司法制度を研究、西洋の憲法や国家の学問に通じながら、国学にも造詣があり、後に、伊藤博文等と共に大日本帝國憲法・皇室典範を起草した。
注のはしがきに曰
恭て按ずるに、我が國君民の分義は既に肇造の時に定まる。中世屢々變亂を經、政綱其の統一を弛べしに、大命維新、皇運隆興し、聖詔を渙發して立憲の洪猷を宣べたまひ、上元首の大權を統べ、下股肱の力を展べ、大臣の輔弼と議會の翼賛とに依り、機關各々其の所を得て、而して臣民の權利及義務を明にし、益々其の幸福を進むることを期せむとす。此れ皆祖宗の遺業に依り、其の源を疏して其の流を通ずる者なり。
「聖詔を渙發して立憲の洪猷を宣べたまひ」とは、明治元年「五箇條の御誓文」七年「議院憲法の詔」八年「立憲政体の詔」十四年「国会開設の勅諭」等。この憲法の基礎はすなはち、天皇が建国以来の君主であり、中世の武家政権であつても、根本は天皇が日本の中心的存在であつたといふ事にある。文武天皇即位の詔に「天皇か御子のあれまさむ彌繼繼に大八島國知らさむ次」とのたまひ、又「天下を調へたまひ平けたまひ公民を惠みたまひ撫てたまはむ」とのたまへり。世々の天皇皆此義を以つて傳國したまはざるはなく、其後「御2大八洲1天皇」と謂ふを以て詔書の例式とはなされたり。所謂『しらす』とは即ち統治の義に外ならず。蓋し祖宗の天職を重んじ、君主の德は八洲臣民を統治するに在て一人一家に享奉するの私事に非ざることを示されたり。此れ乃ち憲法の據て以て其の基礎と爲す所なり。(第一条)
天皇が日本の元首であるといふ考へは古来より、また、近世には、国学者や水戸学者やもしくは尊皇派と呼ばれる人々によりしきりにいはれてきたことであつた。しかし、憲法起草者としての井上毅にとつての國家元首としての天皇の発見はまさにこの「しらす」にあつた。外国の君主においては、国といふものは「有つ」もの、また「オッキューパイド」するものであり、つまり、国は王個人の所有物とされてゐたのであつた。とくにローマ帝国では、王の没後にその財産とともに国の領土が複数の王子に分割されて相続され、結果国家の分裂を招いたやうに、王にとつて国といふものは私的な所有物なのであつた。国費についても、古代欧州では、王は国を自らの私物として扱つたために、家事と国事とが混じられ、国費は王家の私的財産から支出されてゐた。その後費用の尽きることを知つてより豪族から徴収するやうになつたのが欧州における税の始まりである(憲法義解・第六十三条)と井上毅はいふ。(実際に西洋人の近代的な感覚では、王といふものは基本的には搾取したり暴虐を働かしたり国民を支配して我慾を貪る存在のやうに考へられるのが通例である。その王に対する反動によつて民主主義が成立したといふ事は歴史に見えることである。)
しかるに、日本の君主である天皇は、その統治の始まりは、決して私有物として国を得たものではなく、その原初より、公けとしての国の統治者であり、「天下を調へたまひ平けたまひ公民を惠みたまひ撫てたまはむ」といつた性質のものであつた。それが、歴代の詔に表明され、それだけでなく国史の事実に見出されるのである。
そしてそのことを井上毅は古事記における国讓りの段の「しらす」と「うしはく」といふ統治を意味する語の違ひから実証しようとする。古事記に載る大國主命の国譲りの話に、天照大神が地上を支配してゐる大國主命に御使を使はして、「汝がうしはける葦原中國は、我が御子の知らす國ぞ」と伝へ、つひに大國主命とその御子言代主神との談義によつて、天照大神の御子に譲り渡す事になつたと記されてゐる。井上毅は、古事記がこの両者の地上統治を表すのに、大國主命には「うしはく」天孫には「しらす」と異なる言葉遣ひをしてゐることに注目する。(注一)
「うしはく」とは、古事記傳の説明には、主(ウシ)として其の処を自分の物として領居することであり、かつ、天皇の統治を「しろしめす」などと表現しても「うしはく」と表現することはないので、同じ統治でも意味あひが異なる、といふ事を述べてゐる。「しらす」といふのは、「しろしめす」と同じで、もと「知る」が語源であり、天下を聞き知り及ぶことから統治の意となるとされる。井上毅は、これらの語の由来を天皇の統治の歴史と考へ合はせた時、天皇の統治を「しらす」といふのは、もとより武力征服や「うしはく」のやうな単なる領有ではなく、「知る」といふ精神的な統治の在り方すなはち徳治の理想を表してゐるのではないかと考へた。そしてここに天皇の統治の精神の根本理念が見出だされる、といふ発見をしたのである。(井上毅の講演録「古言」『井上毅傳』史料篇五)(注二)
天皇の統治が単なる私的な目的によるものではなく、国の安泰を守る公的な営みを中心として行はれてきたこと、その王としての性格は支那や欧州の王とは全く異なること、ここに日本の立憲政体がいかにあるべきかといふ事を見出したのである。西洋の憲法学を誰よりも深く学んだ井上毅が、単にそれを移植するだけではなく、日本の国体(国がら)を明確に捉へて、新しい時代の日本が国としていかにあるべきかといふ事を深く考へた精かく磨いた成果がこの憲法に盛り込まれてゐるのである。
憲法義解には、各条項について、法学的根據と歴史的な国体の在り方とを織り交ぜて注釈を施してゐる。それによつてこの近代憲法がたゞの空理で作られたものではなく、日本の国体における不文の法を憲法によつて明文化したものであるといふ事が見えてくるのである。それはあたかも古代の律令制度が、支那の学問に拠りながら、日本的に十分な理解と検討を加へることによつて、日本の国柄に準拠させ、もとの唐制より面目を新たにして組織されたのと、軌を一にするやうである。

しかし歴史の流れといふものははかないものであつた。さうして戦後の我々は、今、全く違ふ世界観・国家観に成り立つ憲法を受け入れてそれに基いて生きてゐるのである。
しかし、今の憲法を考へる上でも、この憲法またその注釈であるこの書物は有益である。また、憲法や立憲主義といふもの自体を考へる上でも、いまや世界の標準として絶対的になつてしまつてゐる西洋的な国家観社会観を相対化して新しい視点を目を与へてくれるものとして大変意義のあるものであると思ふ。
皇室典範についても同じことで、単に制度を新しく設けたといふものではなく、国史・故実を綿密に調査した上で、皇室に於ける不文の理念といふものを明文化したわけである。

注一 「しらす」と「うしはく」の事について井上毅に報告したのは国学者の池邊義象であるといふ。言葉の意味の違ひ自体については、本居宣長の古事記傳から説が始まつてゐる。
注二 「しらす」「うしはく」の論については、国語学上に議論があり、三矢重松は、天皇の統治形態の説には賛成し、語の差についても半ば同じながら、また半ばは疑問を投げかけて、両者の間には、質的な統治の尊卑高下の意味合ひはなく、そもそも「領有」と「統治」といふ本義が異なるのであつて比較すべき語ではないとしてゐる。(論文「大いに訓詁の學風を起せ」及び「「うしはく」と「しらす」てふ言葉の異同について」『國語の新研究』収録)

参考ウェブ
"井上毅 | 近代日本人の肖像" <近代日本人の肖像 | 国立国会図書館
井上毅における伝統と近代―「シラス」論を中心に―(pdf) <明治聖徳記念学会web(紀要検索)

電子図書
"重要文化財等コンテンツ"(大日本帝國憲法御署名原本) <国立公文書館 デジタルアーカイブ
"近代デジタルライブラリー - 憲法義解"(岩波文庫版)
"近代デジタルライブラリー - 帝國憲法 皇室典範 義解"(二十二年初版)
"近代デジタルライブラリー - 帝国憲法皇室典範義解"(増補第十五版)
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平 春明

Author:平 春明
住まひは神奈川県鎌倉市。東京の渋谷の丘で国文学の勉強をしてゐる学生、はるあきらです。なにくれと勉強した事や、面白かつた事などをかきつらねていきます!
普段から歴史的仮名遣ひですので、こゝでも歴史的仮名遣ひです。
主に、国文学、国語学、日本数学、その他諸々、気に入つた物を紹介していきたいと思ひます。

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